「会社を売るなら、まず企業価値を上げよう」。M&Aを考え始めたオーナーの多くがこう動きます。しかし買い手が現れず、親族や従業員への承継に切り替えた瞬間、積み上げた利益と純資産はそのまま贈与税・相続税の評価額に変わります。出口を先に1つに絞ること自体が、税負担の面では片道切符になり得るのです。
なぜ「M&Aを出口に決める」と、自社株の税務上の評価まで上がるのか?
2025年調査では全国の後継者不在率は50.1%、後継者候補の属性で最も多いのは「非同族」の41.0%で、初めて4割を超えました。親族以外に出口を求める流れは、もはや例外ではありません。
ただし、M&Aは「決めれば売れる」ものではありません。全国の事業承継・引継ぎ支援センターでは、令和6年度の第三者承継に関する相談者数16,045者に対し、同年度の成約件数は2,132件でした。相談と成約の年度は一致しないため単純な成約率ではありませんが、相談した会社の大半がその年度内には出口に到達していないのが実態です。
問題は、買い手を探す数年間に会社がどう変わるかです。買い手は利益(EBITDA)と純資産を見ますから、売却を目指す会社は役員報酬を抑え、節税を控え、利益と内部留保を厚くします。一方、相続税・贈与税で使う類似業種比準方式は「配当」「利益」「純資産(簿価)」の3要素で自社株を評価し、純資産価額方式は純資産をほぼそのまま使います。M&A向けの磨き上げは、税務上の株価を押し上げる施策とほぼ同じ方向を向いているのです。
買い手が見つからず親族承継に戻すと、何が起きるのか?
同じ「株価が上がった会社」でも、出口によって意味はまったく違います。
| 観点 | M&A(第三者承継) | 親族・従業員承継 |
|---|---|---|
| 上がった株価の意味 | オーナーが受け取る譲渡対価 | 後継者が負う贈与税・相続税の課税評価額 |
| 現金の動き | 譲渡対価として現金が入る | 現金は入らず、納税資金だけが必要になる |
| 税率 | 譲渡所得に20.315%(所得税・住民税等) | 贈与税・相続税は最高55%の累進税率 |
| 利益・純資産を積み上げる施策の効果 | 売却価格を上げる | 税負担を増やす |
簡略化した例で考えます。純資産3億円の会社が売却を目指して3年間利益を積み増し、純資産4.5億円になった時点で買い手が見つからず、長男への承継に切り替えたとします。上昇分1.5億円がそのまま課税評価額に乗り、最高税率55%の階層なら単純計算で約8,000万円の税負担増です(基礎控除等は考慮しない概算)。しかも売却と違い、後継者の手元に現金は1円も入りません。
「事業承継税制で猶予すればよい」と考えるかもしれません。しかし特例措置は、特例承継計画の提出期限が2027年9月30日、贈与・相続の実行期限が2027年12月31日と定められています。M&Aに数年を費やして買い手が見つからなかったとき、期限を過ぎていればこの選択肢はありません。
加えて、上がった株価を下げるにも時間がかかります。類似業種比準方式の利益要素は直前期末以前1年間または2年間の平均で計算するため、方針転換した年にすぐには下がりません。出口を1つに絞った時間のコストは、税額以上に重いのです。
「M&Aを検討し始めたが、まだ誰にも相談していない」段階こそ、承継の出口を2つ以上残せる最後のタイミングです。御社の株価が今どの評価方式で、いくらになっているかを、30分の無料相談でご確認ください。
「まず売却を目指し、売れなければ承継」でよいのではないか?
M&A実務家の一部には「まず企業価値を最大化し、売れなければそのとき承継を考えればよい」という考え方があります。買い手の存在が確実な会社であれば、この順序で問題ありません。
しかし、後継者も買い手も確定していない段階で、価値向上策だけを先行させるべきではありません。売却価格は買い手が現れて初めて実現しますが、税務上の評価額は買い手がいなくても毎期末に確定します。そしてM&Aで効く施策(利益の積み上げ、含み益の顕在化)と、親族承継で効く施策(役員退職金、持株会社化、種類株式による評価調整)は多くが逆方向です。出口を1つに絞ることは、もう一方の出口を意図的に高くする行為にほかなりません。
私たちの立場は明確です。出口を決める前に、①税務上の株価(現状と3年後の見込み)、②M&Aで想定される譲渡価格、③親族・従業員承継の実現可能性の3点を同じ机に並べ、途中で切り替えても取り返しがつく順序で施策を組むことです。
まとめ
- M&Aは主流の出口になったが、相談者の大半はすぐには成約に至らない
- M&A向けの企業価値向上策は、相続税・贈与税の株価評価を押し上げる施策とほぼ同じ方向を向く
- 買い手が見つからず親族承継に切り替えれば、上がった株価が最高55%の税率で課税される
- 後継者も買い手も未確定なら、株価を上げる施策を先行させてはいけない。出口は2つ同時に設計する
- 事業承継税制の実行期限(2027年12月末)を、判断の時間軸に必ず組み込む
次に取るべき行動は1つです。誰にも相談していない今のうちに税務上の株価を算定し、「売れた場合」と「売れなかった場合」の数字を並べてください。
私たちNEX Consulting/NEX税理士法人は、M&Aアドバイザリーと自社株評価・相続対策を同じチームで担当し、「想定譲渡価格」と「税務上の株価」を1枚の資料で比較する承継設計をご提案しています。
本稿は、M&Aを前提とした企業価値向上策が親族・従業員承継時の贈与税・相続税負担に与える影響に関する一般的な解説であり、個別の案件における判断・結果を保証するものではありません。株式評価や税負担は会社規模・株主構成・適用時期により大きく異なります。実際の案件では、個別の事情を踏まえ、専門家への確認を行ってください。
関連資料:親族承継・社員承継・M&Aの3つの出口を、税負担・時間・実現可能性の観点で比較した「3つの出口」比較ガイドを無料公開しています。出口を1つに絞る前の整理材料としてご活用ください。
参考・出典
- 帝国データバンク「全国『後継者不在率』動向調査(2025年)」2025年11月21日 https://www.tdb.co.jp/report/economic/20251121-successor25y/
- 独立行政法人中小企業基盤整備機構「令和6年度 事業承継・引継ぎ支援事業の実績について」2025年5月30日 https://www.smrj.go.jp/press/2025/f7mbjf000000dnpt-att/20250530_press01.pdf
- 国税庁「財産評価基本通達」178〜180(取引相場のない株式の評価、類似業種比準価額) https://www.nta.go.jp/law/tsutatsu/kihon/sisan/hyoka_new/08/03.htm
- 国税庁 タックスアンサー No.4155「相続税の税率」 https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/taxanswer/sozoku/4155.htm
- 国税庁 タックスアンサー No.4408「贈与税の計算と税率(暦年課税)」 https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/taxanswer/zoyo/4408.htm
- 国税庁 タックスアンサー No.1463「株式等を譲渡したときの課税(申告分離課税)」 https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/taxanswer/shotoku/1463.htm
- 「令和8年度税制改正大綱」(2025年12月)および中小企業庁「法人版事業承継税制」(特例承継計画の提出期限延長) https://www.chusho.meti.go.jp/zaimu/shoukei/index.html