目次
1. 「実質無税で自社株を渡せる制度」なのに
法人版事業承継税制(特例措置)は、後継者が取得する非上場株式に係る贈与税・相続税を 全株式・100% 納税猶予するという、他に類を見ない大型措置です。平成30年度税制改正で10年間の時限措置として創設され、適用期限は令和9年12月31日に迫っています。
これほど強力な制度でありながら、経営者の方から最も多く聞くのは「うちは結局使わなかった」という声です。なぜでしょうか。中小企業庁が令和7年6月から開催した「中小企業の親族内承継に関する検討会」が、この問いに正面から答える中間とりまとめを公表しました(令和7年12月12日)。本コラムでは、その分析を手がかりに、利用が伸びない構造的な理由と、今後の改正の方向性を整理します。
2. 数字で見る利用実態 ―― 「増えた」が「足りていない」
まず押さえておきたいのは、特例措置が失敗したわけではないという点です。
| 区分 | 年間の活用件数 |
|---|---|
| 一般措置(平成21年度~平成29年度) | 年平均 約250件 |
| 特例措置(平成30年度~) | 年間 約2,000~5,000件(コロナ禍で一時落ち込み) |
一般措置の10倍以上に跳ね上がっており、拡充の効果は明確です。特例措置の導入以降、最大で約27万人の雇用が維持された可能性があるとも整理されています。
問題は分母のほうです。中小企業庁は、事業承継税制を使うメリットがある「潜在活用層」を 年間約1.1万~1.2万社 と推計しています。これに対して実際の利用は その4分の1~3分の1程度。つまり、制度そのものは機能しているが、本来使えるはずの経営者の3分の2以上が使っていない、という状態です。
なお、活用企業は売上高1億円以上に集中しています。相続税の基礎控除(3,600万円~)があるため、株価が小さい会社はそもそも税制を使わなくても納税が生じない――これは制度が悪いのではなく、設計どおりの姿と言えます。
3. 使われない理由 ―― 政府調査が拾った5つの声
中間とりまとめは、潜在活用層へのアンケートから、利用しない理由として次の点を挙げています。
- 適用期限までに事業承継を完了できない
- 提出期限までに特例承継計画を提出できない
- 後継者はいるが、経営者としての人材育成が終わっていない
- 提出書類や手続が煩雑
- 納税猶予が取り消されるリスクがある
ここから読み取れる本質は、「税負担が重いから承継できない」のではなく、「承継の準備が整わないから税制に乗れない」 ということです。後継者への移行に3年以上を要する企業が半数を超えるという調査結果もあり、10年という区切りは、経営の実感としては決して長くありません。
実務家として付け加えたい2つの理由
(1) 「猶予」は「免除」ではない
ここが最大の心理的ハードルです。納税猶予とは、住宅ローンのリスケジュール(返済猶予) に近い状態です。支払いを待ってもらっているだけで、借用書は残っています。破棄されるのは、後継者が亡くなるか、さらに次の後継者へこの制度を使って渡したとき。つまり 免除まで実質的に2代分の時間 を要します。
その間、都道府県への年次報告と税務署への継続届出が続きます。20年以上続く定期健診のようなもので、一度受け忘れると、それまでの猶予税額が利子税とともに一括請求される――この構造を正確に説明すると、決断できない経営者が一定数出るのは自然なことです。
(2) 会社の将来の自由度を縛る
代表権の維持、議決権50%超の保持、株式の譲渡制限。将来M&Aで会社を売る可能性が少しでもあるなら、猶予打切りのリスクを抱え込むことになります。承継の「出口」を一つ塞ぐ制度だという認識は、実務では避けて通れません。
中間とりまとめも、猶予期間の長さや、将来の不確実性への懸念が制度を使われにくくしている点、さらに 成長を目指すほど税負担が意識されるために、事業の成長につながらない支出を伴う株価対策に走る誘因が生じている 点を、制度に起因する課題として明記しています。本来は賃上げや成長投資に回るべき資金が節税に投じられている――という率直な問題提起です。
4. 改正の余地はあるか ―― 答えは「令和9年度税制改正」
ここが最も重要なパートです。政府の姿勢は、この2年で明確に変化しました。
(1) 令和7年度大綱 ―― 「今後とも延長しない」
特例措置の適用期限について、与党税制改正大綱は延長しない旨を明記しました。異例の時限措置である以上、期限は動かさないという宣言です。
(2) 令和8年度改正 ―― 延びたのは「計画」だけ
令和8年度税制改正では、特例承継計画の提出期限のみが1年6か月延長され、令和9年9月30日 となりました(個人版の個人事業承継計画は令和10年9月30日まで2年6か月延長)。
一方で、贈与・相続そのものの適用期限は令和9年12月31日のまま据え置き です。ここを混同すると致命的です。計画提出期限を使い切ると、実行までに残るのはわずか3か月。「延びたから安心」ではなく、「これが最後だから、この期間に決めてほしい」 というメッセージと読むべきでしょう。
(3) そして令和8年度大綱 ―― 「令和9年度税制改正において結論を得る」
決定的なのはこの一文です。適用期限到来後のあり方について、世代交代の停滞や地域経済への影響に加え、適用状況や課税の公平性の観点も踏まえて多角的に検討し、令和9年度税制改正で結論を得る と明記されました。
つまり、改正の余地は「ある」どころか、改正論議はすでに始まっており、来年末の大綱で答えが出ます。
(4) 何が検討されているのか
中間とりまとめが示した検討の方向性は、実務家として見ると、かなり踏み込んだ内容です。
| 論点 | 検討の方向性 |
|---|---|
| 猶予対象株式数 | 一般措置のような2/3上限を設けることは必ずしも妥当ではない |
| 猶予割合 | 生前贈与による早期承継を促す設計を主眼に、相続の猶予割合も適切に検討 |
| 猶予措置のあり方 | 評価減制度の可能性の追求、「10年間事業を継続すれば免除」等の工夫を検討 |
| 雇用確保要件 | 単なる雇用数維持ではなく、賃上げ・デジタル化・省力化等の成長への取組を評価 |
| ガバナンス | 透明性の高い経営、ステークホルダーへの還元を促す設計 |
| 海外子会社 | 現在は対象外。国内への裨益の観点から対象化を検討 |
| 手続・その他 | 報告回数や添付書類の見直しによる簡素化、信託株式の取扱いは慎重に検討 |
注目すべきは太字の一行です。「猶予」から「免除」または「評価減」へ――これは制度の性格を根本から変える議論です。10年継続すれば借用書そのものが破棄される設計になれば、上で述べた「2代分の宿題」という最大の障壁が消えます。もっとも、とりまとめは同時に、実効性のある課税逃れ防止措置や上限設定の必要性にも言及しており、使いやすくなる代わりに、対象や規模に線が引かれる可能性 も十分に想定されます。
5. もう一つの変動要因 ―― 株式評価そのものの見直し
見落としてはならないのが、令和8年4月20日に国税庁が設置した 「取引相場のない株式の評価に関する有識者会議」 です。会計検査院の指摘を受け、類似業種比準方式を中心に、財産評価基本通達の評価体系全体が検討対象となっています。報道ベースでは、令和9年度税制改正大綱を経て令和10年1月からの適用が想定されるとされています。
税額を決める「掛け算」の両方が、同時に動こうとしている ということです。
- 税率・猶予の枠組み(事業承継税制)→ 令和9年度改正で結論
- 課税標準となる株価そのもの(評価通達)→ 同時期に見直し
評価額が上昇する方向の見直しが入れば、事業承継税制を使わない前提で組んだプランは前提から崩れます。逆に、猶予が免除に近づくなら、評価額が上がっても影響は限定的です。両者はセットで検討しなければ意味がありません。
6. では、いま何をすべきか
制度の先行きが不透明な今、実務対応は次の3点に集約されます。
① 特例承継計画は「無料の予約券」として出しておく
計画を提出しても、贈与を実行する義務は生じません。出さなければ選択肢がゼロになるだけです。令和9年9月30日という期限を意識しつつ、迷っている段階でも、まず権利を確保しておく のが合理的です。認定支援機関の指導・助言が必要なため、準備には数か月を見込んでください。
② 「新制度を待つ」は最も危険な選択
令和9年度改正で何が出るかは、現時点で誰にも分かりません。恒久化・見直し・縮小のいずれもあり得ます。現行特例措置は、確実に存在する選択肢 です。待って新制度が現行より不利だった場合、取り返しがつきません。
③ 税制を使わない設計も、並行して必ず検討する
事業承継税制は万能ではありません。相続時精算課税の活用、持株会社スキーム、種類株式(無議決権株式)による議決権集中、従業員持株会、そしてM&A。「この制度を使わなくても承継できる形」を作ってから、税制を使うかを決める ――この順序が、後々の自由度を守ります。
7. おわりに
事業承継税制が使われていない最大の理由は、制度の寛大さが足りないからではなく、「猶予」という仕組みが経営者に長期の不確実性を背負わせるからです。 政府はその構造をようやく正面から認め、免除・評価減という方向を含めた再設計の検討に入りました。
答えが出るのは令和9年度税制改正。それまでの1年半は、現行制度の権利を確保しながら、複数のシナリオに耐える承継設計を整える期間 です。自社株の評価と承継の枠組みが同時に動くこの局面は、10年に一度の転換点と言ってよいでしょう。
自社株の評価、承継スキームの設計、特例承継計画の作成について、お気軽にご相談ください。
主な出典
- 中小企業庁「中小企業の親族内承継に関する検討会 中間とりまとめ」(令和7年12月12日) https://www.chusho.meti.go.jp/koukai/kenkyukai/shinzoku/report/20251212report_01.pdf
- 中小企業庁「親族内承継に関する現状分析と今後の検討の方向性について」(令和7年6月11日) https://www.chusho.meti.go.jp/koukai/kenkyukai/shinzoku/001/003.pdf
- 中小企業庁「法人版事業承継税制(特例措置)」 https://www.chusho.meti.go.jp/zaimu/shoukei/shoukei_enkatsu_zouyo_souzoku.html
- 令和8年度与党税制改正大綱(令和7年12月19日)/令和7年度与党税制改正大綱(令和6年12月)
- 国税庁「取引相場のない株式の評価に関する有識者会議(第1回)」資料(令和8年4月20日) https://www.nta.go.jp/about/council/nai-hyoka/20260420/pdf/01shiryo_kabukaigi.pdf
本コラムは令和8年(2026年)7月時点の公表情報に基づく一般的な情報提供であり、個別の税務判断・投資判断を目的とするものではありません。実際の適用にあたっては、必ず個別にご相談ください。